道場院の概要

院号 道場院
山号 松原山
寺号 宗福寺
本尊 阿弥陀如来像
開山 轉蓮社乗誉道場弘尊上人
開基 不詳
開創 寛正元年(1460年)

※当山は、正式には「松原山 道場院 宗福寺」(しょうげんざん どうじょういん そうふくじ)と書き、院号をとって「道場院」と呼ばれています。

道場院の歴史

 当寺は室町時代中期の寛正元(1460)年に、轉蓮社乗誉道場弘尊上人によって開創されました。乗誉上人は創建八年目の応仁2(1468)年3月18日示寂しました。当初、新宿町に建立され、江戸初期の寛永10(1633)年に新馬場に移り、11年後の正保元(1644)年に現在地に再移転しました。第14世純誉上人は江戸中期の享保5(1720)年当時の様相を記録するなかで、「ご本尊の阿弥陀如来座像は慈覚大師の御作で、三尺八寸」と記しています。

 江戸後期の頂誉上人代の文化14(1817)年の大火で堂宇ことごとく類焼。同年に檀信徒の寄進を得て新築しましたが、翌文化15年の大波で本堂は半壊してしまいました。第27世謙誉真恭代の大正12(1923)年の関東大震災で本堂が倒壊。第28世勇誉誠真代の昭和6(1931)年に、古材を用いて本堂庫裡を再建しました。応急処置をしたあと半世紀を経て老朽化し、本堂・庫裡の新築は勇誉誠真上人の悲願でした。上棟式も終え、着々と建築が進み、完成のメドがつきかけた平成3(1991)年4月に倒れ、同年5月11日に遷化。第29世法誉融光上人はその遺志を継ぎ、二代にわたって悲願を達成しました。

 門前に祐天上人の六字名号塔があります。祐天上人は徳川将軍綱吉・家宣の帰依を受け、生仏と尊ばれた江戸中期の高僧です。当寺ではかつて十夜法要で祐天上人像をまんなかに置き、祐天講を行っていました。

道場院の聖観音菩薩像(しょうかんのんぼさつぞう)

 本堂の前に聖観音菩薩立像があります。観音さまは阿弥陀如来の化身といわれています。

お参りされる皆様が正観音菩薩像に手を合わせるとき、自ずとご本尊の阿弥陀如来さまに合掌する形となっています。この正観音菩薩像は、檀信徒(前総代)である古川弘二様、道子様のご夫婦が、昭和59年10月25日両親の慈愛への感謝の想いで建立したものです。

見事な自然石の台座には、「幾歳世 末の末まで忘れめや 尊き父母の愛の広さを春夏秋冬 苦楽あり 老境思えば夢のまた夢我事を成し得ず 祖先にまみえん 此の身は土に還るとも」と刻まれています。

古川弘二 詩 道子 書

 

足柄三十三ヶ所観音霊場 第18番

相模国(神奈川県)西部、かつての足柄県域に点在する札所から成る観音菩薩の巡拝場。札所はすべて、浄土宗の寺院となっている。

 

道場院と祐天上人

 祐天上人の六字名号塔は、道場院第14世林随上人を導師として正徳5年(1715)に建立されたのち、第24世了嚴上人を再興導師として元治元年(1864)に再興された。かつて近隣住民によって結成された祐天講があり、その昔、十夜法要の際には本堂の中央に祐天上人像を安置して百萬遍念仏を修していたという。

柏木春駒の句碑

道場院の墓地には元文2年(1737)市内で最もっとも古い句碑である柏木春駒(足柄上郡 炭焼所村出身の商人)の墓がある。隣には息子と思われる柏木春里の墓、明治4年(1767)があり、俳句が記されている。

秋風の 来ると往くのが 真なり   春駒